「人はなぜ形のないものを買うのか」 読書会増刊号
今年3月に行ったMemoさんの「人はなぜ形のないものを買うのか」 の読書会の増刊号。人は、「価値」を感じれば仮想アイテムでも買う、という点をおさらいし、では、どうやって人は、敷居が高いと言われるセカンドライフで、物・サービスに価値を感じるようになるのか、参加者のみなさんの経験や考えをもとに、ディスカッションしてみました。
スライドはこちら: memo スライド
以前、『人はなぜ形のないものを買うのか』(野島美保 NTT出版 2008)という本の読書会をKIRA cafeでさせていただきました。
その本では、「仮想世界」は顧客が満足し、使い続けてくれるほど収益が上がる「サービスモデル」だと位置づけ、顧客が感じる「価値」を分析し、満足度を一定レベルに保っていくことが肝要であるとして、MMORPG(多人数参加型オンラインRPG)や動画共有サービスを対象とした調査をもとに、「満足度」をコミュニティが下支えしていること、、参加の度合いが深化していくプロセス、「居場所」の感覚などを分析していました。
基本的には、Second Lifeも「仮想世界」サービスの一つであり、ユーザーはSecond Lifeで行われる交流やものづくりや、さまざまな体験が自分にとって価値あるものだと感じるからこそ、定期的にログインし、時間やお金を使います。とはいえ、何度もいろいろなところで言われているようにMMORPGとSecond Lifeは異なります。ゲームとして設計されたMMORPGの中では、キャラクターを成長させ、より強い敵と戦い、より貴重なアイテムを得ることをおおまかな共通の目標とすることができます。また、初心者がその世界に馴染んでいきやすいチュートリアルの設計も、「やること」が決まっているために比較的容易です。
それに対して、共同で3DCGオブジェクトを作成するために作られたSecond Lifeは一般的なMMORPGよりはるかに高い自由度をもち、多様な遊びの可能性をもつ代わりに、わかりやすい「共通の尺度」といったものは存在しません。そのため、「なにをしていいかわからない」から始めてみたけれど止めてしまう人も少なくない、日本人には向かない、と言う人もいらっしゃいます。
ですが、現在推定5万人前後の日本人ユーザーがSecond Lifeに定着していると言われています。ではその5万人は、どういう人達なのでしょうか? どうやって
Second Lifeに適応し、楽しさを見つけることができたのでしょうか?そんな発想から、Second Lifeの中で実際に「自分にとって価値あるもの」を見つけることに成功したユーザーのみなさんが、どんな体験をしていたのか社会学の立場から調べてみたい、ということで「人はどのようにin worldに価値を見いだすようになるのか?」というタイトルでお時間をいただきました。
ボイスチャットでお話させていただいたので、適宜補完しながらサマリーとさせていただきます。
=スライドの内容=
「人はどのようにin worldに価値を見いだすようになるのか?」
2009/10/20 Memo Parnall
◆はじめに:自分のスタンス
なんだかよくわからないけど、社会の紐帯が細く薄くなって、孤立しがちになっちゃってるかも感が増してるような気がする...ので、サードプレイス的なほにゃららを作りやすくする手段として、インターネットの使い方をもちょっと考えてもいいのかも...
例:秋葉原連続殺傷事件加害者の掲示板ログ
例:『アーキテクチャの生態系』濱野智史
◆前回のあらすじ
『人はなぜ形のないものを買うのか』(野島美保 2008)
「仮想世界」は顧客が満足し、使い続けてくれるほど収益が上がる「サービスモデル」。
顧客がサービスから受け取っている「価値」、なにが「楽しい」と感じているかを分析することが重要。
例:新奇性/「居場所」/UGC/娯楽性
→「満足度」をコミュニティが下支えする、参加の度合いが深化していくプロセス、「居場所」の感覚などを分析
◆じゃあSLの場合は?
◎MMORPG(大規模オンラインRPG)の場合
・他のプレイヤーとの交流を促す仕組み
例:他のプレイヤーと協力しないと倒せない「敵」
・アイテムやキャラクターの能力が可視化されており、サービス内の「価値観」をプレイヤーが共有しやすい
例:みんなが欲しがるステキ装備が欲しい!
※人は他者が欲望するものを欲望する(『欲望の現象学』)
◎Second Lifeの場合・・・
色んな意味でフリーダム!
◆おまけ:「価値の共有」はとても大事
なぜMMORPGが「社会」と感じられるのか(工事中)
◎人がただワサワサと集まってる場
→赤の他人=コミュニケーションをとる敷居が高い
◎個別的な友達つながり
→別のサービスで交流しても無問題。「この世界」で仲間である必然はない。
◎システム化された「価値の共有」による共同性
→まだ会ったことはないが同じ価値観を持った人たちがたくさんいるという確信=抽象的な共同性(社会)発生
◆じゃあSLはダメなの?
1年ぷらぷらした結論としては、全然ダメじゃない!
例:キラカフェ
例:多世代間交流
例:眼鏡作ったりスクリプト書いたり面白い!
→とっつきにくいのは事実だけど、生きのびている人もそれなりにいるし・・・
※09年夏で定住者100万人、日本人はその5%くらい
「じゃあ生きのびた人は、どうやってinWorldに価値を見いだすことができたんだ・・・」
◆調査してみたいこと
1.属性(年齢、性別、職業、能力、趣味、ネット経験)
2.どういうきっかけでSecond Lifeを始めたか
「お金を儲けたい人」は消えたよね、という話を何度か聞いたので。逆に「残った人」が多いきっかけは?
3.どういう体験で「Second Life面白い!続けたい!」となったのか
4.今、どういう活動を主にしているのか
◆本日のたすけて!
3.「どういう場面で『Second Life面白い!続けたい!』と思いましたか?」
どんなタイプがあるのか、皆目見当がつかないので、ちょとお知恵を拝借したいのデス・・・
1.自分はこんな感じでした。
2.こういうタイプもありえるんじゃね?
などなど、よろしくお願いします!
=参加者の方に頂いたコメント=
◆ikukoさんの場合
※ikukoさんは2007年前半当時の日本人コミュニティの成長の様子を『クリエイターズSecond Life』(翔泳社,2008年)で詳しく書かれています。ネットコミュニティのあり方について興味がある方は是非そちらをご参照ください。
ディスカッションのまとめはこちら: 2009_10_20_Memo2 ログ.doc
0 件のコメント:
コメントを投稿