物は、関心を向けない限りは、ただの物なのかもしれません。ただ、関心を向けた途端、気持ち悪いもの、感動的なもの、疑うべきものになるようです。物は常に志向対象として現れる。
身体は長い間、哲学、特に認識論のなかでは重要視されて来ませんでした。
それは、錯覚を引き起こし、認識を誤らせる可能性があるからです。
そこで、正しい認識を得るためには、身体、言い換えれば感覚、知覚経験を排除し、また感覚、知覚経験、知覚を通して小さな頃から培ってきた知識は信用しないで、認識を導かねばならないというように、なりました。
この考えの代表格がデカルトです。
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セミナー内では特に言及していませんが、さまざまな文献を参照しています。
以下、主な邦語文献を記載します。
加賀野井秀一『メルロ=ポンティ』
木田元『メルロ=ポンティの思想』
木田元『現象学の思想』
谷徹『これが現象学だ』
ダン・ザハヴィ『フッサールの現象学』
村田純一『知覚と生活世界』
鷲田清一『メルロ=ポンティ』
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