「哲学入門セミナー」23
1 人には、解釈や既成観念なしの純粋な経験が可能なのか
私たちの経験を振り返ってみると、「認識」レベルがなくても、認識以前に、十分に意味のある経験は連続的に続いています。・・・その基盤の「意味が全体的に含まれた経験」は根本に、もっとも身近に、絶えずあります。西田は、その「経験自体」を純粋経験と呼んだのです。
「純粋さ」は、単に「いつももっとも身近に、直接的に」という意味です。意味を持たない経験や抽象ではない。
(セミナーより)
2 仮にそれが可能であったとして、なぜそれが至高なるもの、善であると言えるのか
(次回に持ち越しです)
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